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【学童監督リレートーク】“あるべき今と未来へ”vol.18

2024.11.05監督リレー
【学童監督リレートーク】“あるべき今と未来へ”vol.18

 夏の全国2大大会のVチームが複数いる。そんな市区町村は、日本でも福島県いわき市だけでしょう。ベリーホットなその激戦区から、全国スポーツ少年団交流大会に2回出場。そして2019年には、全日本学童大会にチームを初めて導いた監督が今回の主役。飛躍の背景には、当企画にもご登場いただいた名将たちとの交流や“深いい話”も。また次のバトンは、同年に同じく全国初出場を果たした栃木の智将へと渡りました。

(取材・構成=大久保克哉)

ねもと・まさあき●1976年、福島県生まれ。父親が監督を務めていた勿来少年野球教室で3年生から野球を始め、いわき市立植田中の軟式野球部まで、主に投手兼捕手。勿来工高では主に三番・捕手で、県ベスト8が最高成績。卒業後は社会人・小名浜製錬に勤務の傍ら、同社の軟式野球部で25歳まで投手としてプレーした。2000年に古巣・勿来少年野球教室でコーチとなり、02年に実父から指揮官を受け継ぐ。2010年に全国スポーツ少年団交流大会に初出場、13年に同大会2度目の出場でベスト8入り。2019年には全日本学童大会に初出場を果たした。東北大会出場5回、東北新人大会出場2回、GasOneカップ関東大会出場1回など、福島県を代表する強豪チームへと昇華させている。

[福島・勿来少年野球教室]

根本雅章

 ⇩ ⇩

堀野 誠

[栃木・横川中央学童野球部]

ほりの・まこと●1975年、栃木県生まれ。小学校6年間は宮城県仙台市で過ごし、向山フェニックスで小3から野球を始めて6年時は四番・捕手。中学から栃木に戻り、益子町立田野中の野球部では四番・一塁で県4強に2回。益子高(現・益子芳星高)ではじん帯損傷の大ケガも乗り越え、近隣の6校大会で優勝するなど活躍した。卒業後は社会人軟式のポイズンで全国大会出場、かねふくロッキーでも30代後半までプレーした。長男が小3で入部した横川中央学童野球部で1年間コーチの後、2014年から監督に。投手3人制や子ども目線の指導で徐々に力をつけ、次女・潤夏が4年時の2019年に全日本学童大会初出場。この秋の新人戦では県4強など近年も安定した成績を残している

天にも通じた熱量

 金曜日の時点で、土日の予報は完璧に「雨」。となれば、双方のチームで連絡を取り合い、決まっていた練習試合を取りやめるのが一般的だと思います。

 私たちが活動する福島県いわき市には有名な温泉があり、宿泊施設やグラウンドに困ることはほぼありません。ですので、こちらからの遠征より相手チームを迎えることのほうが多いのですが、その週末のことは今でもハッキリと覚えています。10年以上も前のことですが。

チームは創立45周年。高学年は火・水・木も練習できる。近年は隣接する茨城県の北部からの入部も増えてきている

 金曜昼間の天気予報は、翌日は100%大雨。さすがに無理だと思って相手チームに電話を入れると、意外な返事でした。

「行きます!」と(笑)。思わず聞き返しました。すると、こう言うのです。

「ウチはマイクロバスを借りてまして、今からではキャンセルもできないんです(満額支払い)。観光で終わってもいいので、行かせてください!」

 そこまで言われたら、断れませんよね。ウチのスタッフや保護者たちも驚いていましたが、来ると言っている以上は、受け入れの準備だけはしておこう、と。

大会では父母の統制のとれた応援も。「ウチは保護者のご協力がないと厳しい」(根本監督)

 迎えた土曜日、新潟県からはるばるとやって来て、初めて対面したのが米山慎一監督。私をこのコーナーに紹介してくれた新坂スピリッツの監督です。ここまでの話だけでも、当時の彼の熱量がご想像いただけると思います。

 またその熱さが天に通じたのか、実際に2試合やれたんです。午前中はみんなでグラウンドを整備して、やや小降りになった午後に。スコアまでは覚えていませんけど、3対3とか、4対3とか、競ったゲームだったと思います。

「覚えてますか~?」

 米山監督のチームには、コーチ陣もたくさんいて、一つの船にみんなで乗って漕いでいるという感じ。米山監督は感情的になるタイプではなくて、マイルド。それでもサインの見落としや、防げるミスなどは見過ごさずに、毅然と指導されていました。

『オレは全国に行きたいんだ!』

 実際に彼の口から出たわけではないですが、そういう雰囲気がひしひしと。もっといろんなチームの胸を借りて、どんどん吸収したいという野望に満ちていましたね。

 だから、雨も関係ない。ウチの選手たちもそうですが、遠方や強豪のチームとやるときには、相手にすごく興味を持っている。またその選手たちが、強い相手に対してどれくらいやれるのか、というのは指導者も楽しみなところ。これはどのチームでも同じだと思います。

甲子園に出場した教え子も数人。2013年の全国スポ少交流大会1回戦で7回15奪三振の快投を演じた磯上航希(上)は、植田東中で全日本少年大会に出場(下)、当時の最速は138㎞。日大東北高で3年夏に県準V、東北福祉大を経て現在は社会人・軟式でプレーする

 米山監督のチームは2013年に全日本学童に初出場。同じ夏に、ウチはスポーツ少年団(スポ少)の全国大会に2回目の出場をしていました(=下写真)。そしてその秋に米山監督から連絡が来て交流が始まり、同監督が一度卒団される(2015年)まで続きました。その後、監督に復帰したというのは人伝で聞いていましたが、今年の夏に久々に彼から直電が。

「根本さ~ん、米山です、覚えてますか~?」と。私は即答しました。

「忘れるわけ、ねーだろ!」と(笑)。復帰後の彼は、指導の方針も何もすごく変えたとのこと。それは前回のこちらの記事を読んで、よく理解できました。電話でも触り程度に聞きましたが、私はハッキリと言いました。

「オレは変わってねぇぞ!」と(笑)。実際は変わってきたところもあります。でも、時代や世間がどんなに移ろえようとも、変えていいものと残すべきものと、両方があると私は考えています。

時代に抗うものもある

 攻守交代時や、打ってから一塁までの全力走。スライディングやカバーリング。これらは野球の上手とヘタとに関係なく、誰でもできることですね。また試合中でなくても、道具の片づけとか時間を守るとか、団体の活動に必須のルールがありますが、どれも難しいことではない。

 そうした「当たり前」ができないときには、私は厳しく叱ります。保護者がいようが誰が見ていようが、大きい声も出ることがあります。小学6年生までに「当たり前」が身についていないと、中学以降で苦労するのは彼や彼女たち自身なのですから。

 それも野球生活に限ったことではない。どの時代であろうと、何をしても許される世界はありませんね。厳しい先輩や指導者もまだまだいるはず。また、人として当然のことができなければ、社会の一員にはなかなか加えてもらえません。

局面に応じたサインや指示は細やか。一発けん制などの引き出しも、練習によって複数備える

 ですから、学童野球で残すべきものとは「当たり前を当たり前にやること」だと私は考えています。どんなに技能の高い選手でも、時にはズバリと忠告することも。「今のその気持や態度じゃ、上に行っても無理だかんな!」と。

 少子化は私たちの地域でも進んでおり、朝から晩まで野球漬けを望む親子も減ってきました。また少人数なら、効率的にやれば短時間でも相応の練習ができる。そうしたことから、土曜日の活動を半日にすることも。時代とともに変わってきたのは、たとえばそういうところです。

愛のある「ダメ出し」

 私は独身で子どもがいないので、父親監督の気苦労みたいなものは知りません。一方、勿来少年野球と監督は父親から私が受け継いだものなので、チームへの愛着も責任感も相当にあります。

 同じ市内では、常盤軟式野球スポーツ少年団と小名浜少年野球教室という、全国屈指の2強も活動されています(※監督リレートーク❹❺参照)。私が監督になったとき(2002年)には、どちらもすでに日本一を経験。それでも両チームの指導陣は、新米監督の私にも世話を焼いてくれました。

現在は選手だけで取るタイムもある。選手たちの表情は瑞々しい

 ただし、どうしてもこの2強には勝てない。一方に勝っても、その先でもう一方にやられてしまう。そういう日々の中で、野球雑誌を読んでいてある一文が目に留まりました。

『全国大会に行きたいのだったら、全国に行っているチームに話を聞け!』

 私が心を決めて、茨城県の茎崎ファイターズのユウジさん(吉田祐司監督)にコンタクトを取ったのは間もなくのことでした。「あの2チームにどうしても勝ちたいと思っています。一度試合をして、ウチの子たちや監督について感じたことを何でもいいので、正直に話していただけませんか?」と。

 茎崎はすでに全国大会の常連。常盤とも古くから交流があり、そこに私も入れていただいてましたので、ユウジさんとも面識はありました(※監督リレートーク❻➡こちら)。でも、面と向かってそんなド直球を投げたのは初めて。すると、快く受けてくれたユウジさんが、試合後に真っ向から話してくれました。

「ネモちゃんさ、一生懸命はいいんだけど、選手に伝わり切ってないんじゃないかな。あれこれ失敗したときに『なんでできねぇんだ!』とかギャーギャー言ってたけど、その努力をしてもできなかったのなら、実力だから仕方ない。逆にその努力をしてないとか、失敗して修正しようというのが見えなければ、厳しく指導してもいいと思うけど…」

 ユウジさんの手足となって茎崎を支えるワタルさん(佐々木亘コーチ)、シュウジくん(茂呂修児コーチ)も同様に、見て感じたことをそのまま私に伝えてくれました。どれもこれもが、ホントに心に響きました。

 そして私なりによく考えて、改めるべきは改めるように。そしてその年の忘年会で、新チームの5年生の母親2人にこのように言われました。

「監督、選手に対する接し方が少し変わりましたよね? 何となくですけど、来年夏の全国に行けそうな気がするんです」

 予言は当たりました。スポ少の全国大会に初出場(2010年)したのです。ところが、翌年の3月に東日本大震災。海沿いは津波の被害も甚大で、ウチのホームグラウンド(勿来市民運動場)も瓦礫の山に(=下写真)。1年以上は練習場所もままならない状況でしたが、2013年にスポ少でまた全国出場。このときは後に楽天ジュニアにも選ばれたバッテリーでベスト8まで行きました。

野球を変えて横綱撃破

 監督就任から20年以上、私が一貫して掲げているのは、投手を中心とした守りの野球。しっかりと守ってリズムをつくりながら、先行して逃げ切る。このパターンを得意としています。

 ただし、それもゴリ押しではない。特にユウジさんたちから「金言」をいただいて以降は、一方通行を改めました。その年の選手たちの持ち味や気質に応じて、求めるものや目指すものが変わることも。念願だった全日本学童の初出場決めた2019年もそんな年でした。

 当時の6年生は集中力に欠ける選手が複数。守備を突き詰めていくと、チーム全体が息苦しくなってしまう感じがありました。また、多くの選手が下級生のころから試合経験を積んでおり、投手は3人で目処が立っていました。

 そこで思い切って『打って勝とうゼ!』と、従来にない方向へ舵を切り、練習時間も打撃に多くを割きました。下位打線はバントもするけど単なる犠打ではなく、「自分も一塁で生きるところへ転がしていこう!」と。攻める手段の一つとして理解し、その練習も意欲的にやってくれました。

 そして迎えた全国予選の決勝は、常磐。他大会も含め、県決勝ではまだ一度も勝ったことがない。4回、5回は負けているはずです。私はその横綱を前にした当日だけは、畏れることを意図的にやめてみました。チームとして戦う準備は万端でしたので、選手たちには試合前も試合中も「絶対に勝つ!」と。これのみ。

 結果、7対2で勝利。それが5月の大型連休中ことで、ユウジさんにご報告をすると「ウチも6月に全国を決めたら、前哨戦をやろう!」と。茎崎は全国出場を決めると、近隣県の代表チームと試合をするそうなんです。その年は最終的に、茎崎と千葉代表の豊上ジュニアーズに、ウチも加えていただきました。

 一方でウチはもう1チーム、近隣の代表チームと壮行試合をやりました。それが栃木の横川中央少年野球部。コンタクトをとって、招いたのが私でした。SNSで同チームの全国初出場を知り、お誘いのメールを送ると、すぐに電話をくれたのが堀野(誠)監督でした。お付き合いはそれからで、毎年2月の第4週にウチへ遠征に来てくれています。

OBで結束も堅い首脳陣。左から根本和則コーチ、根本監督、助川巨人代表、天野亮輔コーチ

 堀野監督は東北の仙台(宮城県)で暮らしていた時期もあるとかで、同じニオイがするといいますか、不思議と親近感もわいてくる。遠征で来てくれた日の夜の酒宴も毎年、楽しみにしています。

 私からのバトンは、その堀野監督へ託します。全国出場時にはスケールの大きな野球をされていて、エースが確か不調でしたが、バントもするし、打つべきところでは打つ。非常にバランスが取れているなという印象でした。4年生には堀野監督の娘さんもいましたが、卒団されて「父親監督」の肩書きが外れてからも変わらない熱量でご指導をされている。

 その後は堀野監督も私も、全国大会と縁がありません。6年生が少ない年でも互いに頑張って、そこそこまでは行くのですが…。何とか県の壁をそれぞれまた超えて、全軟連主催の夏の大舞台で戦えたらいいなと思っています。

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